ハンナリーズの想いを
言葉にする広報
スポーツコミュニケーションKYOTO株式会社 広報部 部長
齋藤 真應TADAMASA SAITO
1992年生まれ。京都府亀岡市出身。東山高校クレセントコース卒業後、佛教大学へ進学。自動車会社に入社し営業職としてキャリアをスタート。営業職として約5年間の経験を積んだ後、広報部門へ異動。以降約4年半にわたり企業の広報・ブランディング、新規事業の立ち上げなどに携わる。その後、不動産業界においても広報・ブランド戦略を経験。その経験は現在の広報としての仕事にも色濃く活きている。現在はプロバスケットボールチーム「京都ハンナリーズ」にて広報を担当し、クラブの認知拡大とスポーツの魅力を伝える発信に取り組んでいる。東山高校時代は柔道部に所属。恩師や仲間との出会いが、現在の自身の価値観の原点となっている。
原点|東山は「やり切る」という経験ができた場所
東山高校に進学された理由を教えてください。
年の離れた兄が東山高校に通っていたことが大きかったと思います。いわゆる「弟気質」で、兄がやっていることをそのまま追いかけるような子供でした。柔道を始めたのも小学1年生のときで、それも兄の影響です。中学から東山を目指しましたが、ご縁がなく不合格となりました。地元亀岡の試合で好成績を残せていたこともあり、引き続き柔道をするためにも強豪中学へ進学。ただ、そこでは全く通用せず、レギュラーにもなれず、途中で部を辞めてしまいました。
そんなとき、顧問の先生から「このまま辞めたら、何も続かなくなるぞ」と声をかけていただきました。その言葉を受けて、部活を離れた後も、朝練や朝勉強など、継続する習慣を持ち続けるよう支えていただきました。いま振り返ると、あの一言がなければ、何かあるたびに中途半端なまま終わらせていたかもしれません。そして高校受験では、どうしても東山に行きたいという気持ちがあり、先生方の支えもあって合格することができました。本当に多くの人に支えていただいたと感じています。
東山高校では柔道部に?
もちろん柔道部です。ただ中学と同じように挫けそうになることもありました。正直に言うと、自分は根性がなかったんです(笑)それでも恩師である塩貝先生が、見捨てずに向き合い続けてくださった。根性がない、継続力がない——そう言われていた自分を変えてくれたのが、東山での3年間でした。東山は、「やり切る」ということを初めて教えてくれた場所でした。
そして何よりも大きかったのは、友人たちとの出会いです。同級生がみんないい奴らで、本当にいい人たちばかりで、男子校を満喫していました(毎日ふざけすぎて、よく先生に呼び出されていましたが)。今振り返ると、そうした時間も含めてすべてが大切だったと感じています。東山で学んだ「人との関係性の大切さ」は、今の仕事にもそのままつながっています。
歩み|問いが生まれた瞬間
大学卒業後は、どういう業界へ?
自動車業界に入社し、営業職に配属されました。がむしゃらに突っ走っていた3年目のある日、親友から「お前は本当に、やり切ったことがあるのか?」という言葉をぶつけられたんです。その言葉が深く突き刺さって、しばらく頭から離れませんでした。改めて自分と向き合う時間をつくり、何が得意で、何が好きなのかを真剣に考えました。そこで出てきた答えが、人を喜ばせることが好き、人に気を配ることが得意という自分の特性でした。そこから逆算したときに、広報という仕事が自分に合っているのではないかと思い始めました。
企業と人をつなぐ。企業と社会をつなぐ。
その役割に強く惹かれていったんです。人の心を動かす仕事がしたい。もっと会社全体の発信に関わりたいという気持ちが強くなっていき、最終的に上司のサポートもあり、入社から5年後に広報への異動が実現しました。
広報ではどのようなお仕事をされていましたか?
広報として、単に情報を発信するだけではなく「どうすれば選ばれる会社になるか」を考える仕事をしていました。数ある競合の中で、なぜ選ばれるのか。企業のイメージやブランドをいかに築いていくか、その一端を担ってきました。また、広報の枠にとどまらず、新規事業の立ち上げにも関わらせていただきました。商談のために海外へ行く機会もあり、視野が一気に広がったのを覚えています。試行錯誤の連続でしたが、広報としては非常に濃い時間だったと感じています。
ただ一方で、9年半という時間を同じ会社で過ごす中で、自分の中に少しずつ「慣れ」が生まれてきました。特に不満があったわけではありません。むしろ恵まれた環境だったと思います。それでも、「このままでいいのか」という感覚がどこかにあったんです。成長が止まってしまうことへの怖さ。同世代の仲間が挑戦を続けている姿。そういった気持ちが重なったとき、あえて変化の中に身を置くことを選びました。不動産業界へ転職し、環境を変えながらも広報としての経験を積み重ねていきました。
転機|京都ハンナリーズとの出会い
スポーツ業界の広報を選んだ理由
これまでのキャリアを振り返ると、「人の心を動かす仕事」という軸は、一貫して自分の中にありました。一方で、「京都に関わること」については、意識していなかったわけではないけれど、どこかぼんやりとしたままでした。そんなとき、不動産会社への転職をきっかけに、初めて京都を離れて働くことになりました。日常の場が変わったことで、自分にとって京都という存在の大きさに気づかされました。これからは、もう一度京都に関わる仕事がしたい。そんな想いが、少しずつ芽生えていったのです。
実は、自動車業界で働いていた頃から、ハンナリーズを間近で見る機会がありました。当時は平均集客が1,000人を超えるかどうか。パートナー企業も一時期は約140社にまで落ち込み、売上も決して順調とは言えない時期でした。そこから、地域活動やパートナーとの関係づくりを積み重ねていく中で、少しずつクラブの空気が変わっていったんです。気がつけば、ホームゲームはほぼ満席。パートナー企業は約320社にまで増え、売上規模も大きく成長していました。その変化の過程を近くで見ていくうちに、「この場所で、広報をやりたい」という気持ちが強くなっていきました。
京都で、成長の渦中にあるチームに関わりながら、人の心を動かす仕事ができる。その3つが重なったのが、ハンナリーズでした。そして今、クラブは単なるチームではなく、"まちの存在"へと変わりつつあると感じています。その変化のプロセスに関われていることに、大きなやりがいを感じています。
広報として、普段はどんな仕事をしているのですか?
広報の仕事は、ハンナリーズを知ってる人やファンを一人でも多く増やすことだと思っています。チーム内ではSNS戦略、広告戦略、メディア戦略に分かれていて、私は主にメディアと広告を担当しています。また、試合のある日とない日とでは、仕事の内容は大きく異なります。試合日は、設営から撤収まで全スタッフで動き、試合後は記者会見の対応、選手の写真撮影やコメント取りなど、チームで分担しながら進めていきます。慌ただしく一日が過ぎ、気づけば夜遅くになっていることも少なくありません。
試合のない日は、主にデスクワークに時間を使います。年間の広報戦略を設計し、SNSの数値を分析・検証しながら改善を重ねていきます。また、メディアの方々とは日頃からコミュニケーションを図り、記事として取り上げていただけるよう関係性を築いています。
一見華やかに見える仕事かもしれませんが、実際は地道な積み重ねの連続です。その中で、最近特に力を入れているのが、毎節制作しているドキュメンタリーのSNS発信です。バスケットボールを知らない人や、ハンナリーズの名前を聞いたことがない人にも届くように、内容を工夫しています。「京都に、こんな熱い想いで戦っているチームがある」そのことを、試合の結果だけではなく、"人"として伝えていきたいと思っています。これまでの発信は、どうしてもチームから外へ向けた一方通行になりがちでした。だからこそ、見た人の心が自然と動くようなコンテンツをつくる。いま広報部が向き合っているテーマです。
京都ハンナリーズ 公式YouTubeチャンネル https://www.youtube.com/@TV-xu2qs
奮闘|クラブの成長と挑戦
京都ハンナリーズのビジョンやチームの方向性を教えてください。
ハンナリーズが大切にしているのは「共に、登る。」という考え方です。ミッションは「バスケと人を結び、京都に夢と感動と熱狂を生み出し続ける」こと。その中で、ファン、選手、フロントスタッフ、そして行政やスポンサーといったすべての関係者が一緒になって、日本一を目指していく。強さだけを追い求めるのではなく、"関わる人すべてと成長していくクラブ"でありたい。そんな想いが、この言葉には込められています。
Bリーグは2016年の発足以降、選手の活躍や国際大会での成果、そしてバスケットボール人気の高まりもあって、入場者数・売上ともに拡大を続けています。その流れの中で、ハンナリーズも確実に存在感を高めてきました。そして今、クラブとして大きな転換点を迎えています。これまで専用の練習場がなく市民体育館を使用していたため、練習時間に制約がありましたが、今年の秋に専用練習場「Logisnext BASE」が開設されます。この施設では、365日24時間、選手がトレーニングに取り組める環境が整います。選手寮、体育館、トレーニング施設、食堂、そしてサウナ。単なる練習場ではなく、選手同士が日常的にコミュニケーションを取りながら、チームとして成長していける場所になります。
「環境が変われば、チームは変わる」
この一歩が、クラブが"まちの存在"へと進化していく。その始まりだと感じています。
絆|東山という共通言語
チームに東山OBの川島選手がいることについて
東山出身の選手とのつながりは、やはり特別なものだと感じています。今シーズンから伊佐ヘッドコーチが就任し、チームの雰囲気も大きく変わりました。そんな新しいシーズンのはじまりに、真っ先に声をかけてくれたのが川嶋選手でした。「え、東山なん?塩貝先生知ってるん?」——その一言で、一気に距離が縮まりました(笑)学校の話や部活のこと、東山独特の文化みたいなことも「わかる!わかる!」とつながる感覚があって、自然と打ち解けていきました。同じ学び舎で過ごしたという"共通言語"が、先輩・後輩関係なくつないでくれる。その力を、あらためて実感しています。
Bリーグ初のドラフトでは東山OBの西部選手を指名されました
『LEAGUE DRAFT 2026』で、西部秀馬選手を2巡目1位(全体7位)で指名しました。入団時、少し緊張した様子の西部選手に、先輩の川嶋選手が最初にかけた言葉が「これからよろしく!ケガはすんなよ!」——その一言で、西部選手も肩からすっと力が抜けたのではないでしょうか。
先輩が後輩を迎え入れ、背中で引っ張っていく。そうした関係性が自然と根付いているのも、東山らしさのひとつです。“東山でつながっている”という感覚は、やはり特別なものだと感じます。京都で経験を積んだ選手が、地元のプロチームで活躍する機会が増えていけば、地域の盛り上がりもより大きなものになっていくのではないかと思います。
未来|スポーツが持つ力
京都のプロスポーツ文化の可能性について
これからの京都において、スポーツが果たす役割は、ますます大きくなっていくと思っています。今年、ハンナリーズの専用練習場「Logisnext BASE」が完成します。さらに2028年には、向日町競輪場跡地に約9,000人収容の新アリーナが誕生する予定です。こうした環境が整うことで、チームの強化だけでなく、バスケットボールそのものの価値も高まっていくと感じています。
強いチームには人が集まる。人が集まれば、まちが活気づく。その好循環をつくることが、私たちの役割だと思っています。その中で特に目指しているのが、ハンナリーズが"人と人をつなぐハブ"になることです。
試合をきっかけに出会った人たちが、その後もつながり続けていく。そこから新しいビジネスが生まれたり、人と人の関係が深まっていったりする。スポーツが、まちの関係性を育てる存在になる。ハンナリーズを、人と人、企業と地域が自然とつながっていく場所にしていきたい。そう考えています。
メッセージ|後輩の皆さんへ
最後に、東山の後輩たちへメッセージをお願いします。
僕は、小さい頃から決して器用な人間ではありませんでした。むしろ、根性がない、継続力がないと言われることの方が多かったと思います。それでも東山に入って、塩貝先生をはじめとする先生方や仲間に支えてもらいながら、初めて何かをやり切ることができた。あの3年間が、自分の原点です。
だからこそ後輩のみんなには、東山でしか味わえない環境を全力で楽しんでほしいと思います。男子校ならではの濃い人間関係。先生と生徒の距離の近さ。部活動の中で培われる厳しさや根性。そのすべてが、今振り返ると本当に特別な時間だったと感じています。そこで得たものは、社会に出てから必ず力になります。
もうひとつ伝えたいのは、若いうちに積んだ経験は単なる知識や技術ではなく、人間としての"厚み"になるということです。興味があることには全部挑戦してほしい。失敗を恐れずにどんどん飛び込んでほしいと思います。その一つひとつの経験が、必ずどこかでつながっていきます。そしていつか、それぞれの場所で経験を積んだみんなと同じフィールドで何かを一緒につくれる日が来たら嬉しいですね。東山でつながった縁が未来でも続いていく。そんな関係が広がっていけばいいなと思っています。
編集後記
今回の取材を通じて印象に残ったのは、齋藤さんの「人との向き合い方」でした。言葉を尽くし、関係性を丁寧に育てていく。その姿勢こそが、広報という仕事を選んだ理由なのかもしれません。試合をきっかけに人がつながり、その広がりがまちへと波及していく。スポーツが、まちの関係性を育てていく——そんな未来を、京都からつくろうとしているのだと感じました。東山OBの皆さん、ぜひ一度ハンナリーズの試合に足を運んでみてください!そこには、きっと新しい「つながり」が待っています。