クラフトマンの歩んできた道
キャリアの変遷と未来への展望
樹輪舎京都 代表
八十原 誠MAKOTO YASOHARA
1973年京都市生まれ。東山高等学校を卒業後、大学に進学。守口高等職業技術訓練校で木工技術を習得し、木材販売会社「ケヤキの樹輪舎」に入社。2006年に独立し家具工房「樹輪舎京都」を設立。オーダーメイド家具の製作を中心に、自社ブランドの家具製作・販売も行う。木材の知識と家具職人としての経験を活かし、クライアントのニーズに応じた最適な家具を作り続けている。
INTRODUCTION
八十原さんが木工職人からプロジェクトのプロデューサー的な役割を担う経営者へと変遷していく過程と展望について伺いました。
家具の製作・販売をする工房
まずは現在のお仕事について教えてください
オーダーメイド家具の製作や自社ブランドの家具の製作・販売をしている工房「樹輪舎京都」を経営しています。具体的には店舗のカウンターやテーブル等の什器を製作したり、住宅だとリビングやダイニングテーブル、椅子、ソファだけでなく造作のキッチンや本棚、下駄箱のような大型家具を作っています。
主に京都市内を中心に京阪神エリアの注文が多いのですが、東京や全国各地からも依頼をいただいてます。地方になると大切な家具を積んでの長距離運転になるので、とても気を遣いますが、行く先々で美味しいものを食べたり新たな出会いがあったり、納品後はちょっとした旅気分を味わえたりするのも楽しみのひとつです。もちろん一番はお客様に喜んでいただけること。それが何よりのご褒美だと思って家具作りをしてきました。ご縁が繋がって気がつけば工房を開いて20年近く、木材販売会社の時代を合わせると30年近く業界で続けて来られています。本当にありがたいことです。
就職した銘木屋で原木と出会い、木の虜になった
木材販売会社に勤務していた時のことを聞かせてください
この会社では木材の販売がメインだったので、最初は訓練校で学んだ木工技術はあまり活かせなかったんです。入社後は主に木材の仕入れを担当することになり、厳しい社長の元で仕入れのイロハを学びました。僕は市場のセリで材木を仕入れる仕事が特に好きで、たくさんの木を見るのが楽しかったですね。
(もう時効だと思うんですけど)社長がなかなか破天荒な人で、事あるごとに問題を起こしたりしてたんで、市場で色んな人に頭を下げた記憶があります(笑)
でも若いうちから僕の顔を覚えてもらえたという意味では、良い経験させてもらったと感謝しています。
あとは会社の倉庫で定期的に販売会を実施していたので、その木を求めて企業やモノづくりの作家さん、日曜大工が趣味のお父さんとかが来られるんですが、直接声も聞けたりするのも勉強になりました。特にひとりで大きな原木を仕入れて製材まで担当するようになってからは、より多くのことを話せるようになったので、後に自身の仕事につながる出会いがあったりもしました。この頃はずっと木を見れるので幸せでしたね。それは今でも変わらなくて、とにかく木を見るのが僕は好きみたいです。
キャリアの転機は突然に
起業されるタイミングは?
高齢だった社長が亡くなった後、ケヤキの樹輪舎をご家族が引き継がれたんですが、色々な事情で会社が閉まることになり、僕たちの居場所が無くなったというか、10年がひと区切りだった訳じゃないですけど、いずれ独立したいという夢もあったので、同僚と共に起業を決意しました。この時一番良かったのが、前の会社の屋号の一部を「樹輪舎」を受け継げたこと。これはものすごく大きかった。やっぱり看板って大切だし大きな存在です。それで2006年に家具工房「樹輪舎京都」を設立することになります。
京北を選んだ決め手は?
前職の同僚とたまたま現在の工房の隣にある家具屋さんを見学に行ったときに「ここ良いね!」って2人ともが感じたんです。京北の自然、環境、立地とかをひっくるめて、僕たちもこんな場所で家具づくり(チャレンジ)してみたいって思い、軽い感じで「お隣りって空いてませんか?」と尋ねたところ、たまたま空いていたのが分かり、すぐに大家さんを紹介いただいて、トントン拍子に決まった感じで。それぐらい京北が気に入りました。あと知り合いの工務店とかも近くにいたりして、あと何と言っても家賃が魅力的だった!
銘木屋での経験はやはり特別なものでしたか?
一般的には小さな工房では木の仕入れだったり、原木を製材していく過程を見ることは少ないと思うので、そういう部分を実際に経験してきたのが僕たちの強みでしたが、逆に言うと家具職人としては、同業他者よりも劣っていた部分があったかもしれません。でも前職からのつながりのお仕事だったり、とにかく木の性質を活かした家具づくりを心がけるようにしていました。
やがてお客さんがお客さんを紹介してくれたり、それこそ東山(ガシ)の友人が経営しているお店で食事していたら、たまたま隣りに座っていた人が飲食店をオープンするみたいな話しで盛り上がって家具のオーダーをいただいたり、そういう意味では東山(ガシ)の時のつながりで、さらにつながりが生まれたりもするので、本当にご縁は大切だと感じてます。
安定期を迎えるも一転、コロナ禍で売上もどん底に
やはりコロナの影響は大変でしたか?
毎年順調だった訳ではありませんが、お陰さまで仕事も安定していた時期だったので、正直辛かったですね。
というのも、コロナ禍前の家具作りは店舗からの注文が大半を占めていたので、オープンのお店や改装の依頼が完全に止まった時には、どうすることも出来ず最悪でした。これまでも大変な時期はありましたが、本当に創業以来の危機だったと思います。
社会の新たな流れとして、出社を控えてリモートが推奨されるようになり、自宅でのワークススペースを作りたいとか、外食が制限されるので家呑みを充実させたいとか、自宅での暮らしを豊かにしたい的な…ニーズが増えたことで、コロナ禍を機に一般住宅の仕事の割合が増えていった転換期でもありました。
仕事の内容も徐々に変化はありましか?
規模が大きい小さい関係なく仕事に取り組む姿勢だったり熱意は変わりませんが、家具を作る工程で言うと私のポジションは確かに変化してきています。現在は私自身が工房で作業する時間よりも、お客さまとの打ち合わせ、予算管理、現場での対応が増えてきました。あと仕入れの方でも、これまでロシア産の木材は安定的に仕入れることができたのですが、アジアの国での需要が伸びたり、国際情勢の影響で確保するのが難しくなってきているので、これまであまり使って来なかった産地の木を試してみたり、試行錯誤する時間も増えています。とにかく少人数の工房ですので立場が上とか下とか関係なく、スタッフと意見を交わしながら、それぞれで分担をしながら作業を進めることにしています。
業界を取り巻く環境や現状について教えてください
行く先々で建築士や現場監督と仕事をする機会が多いのですが、ひとまわり以上も若い人が増えたなぁと実感しています。それでやはり心配になるのは、当時僕が学んでいた職業技術訓練校のような木工を学ぶ場所が減ってきていたり、そもそも人口が減少しているので、職人の成り手が確実に減ってきていること。それは家具職人を目指す若者だけではなく、林業の後継者もそうだし(ずっと前から)大変な時期が続いてます。とにかく危険を伴ったり、汚れる職場は人気ないんですよね(苦笑)
もちろん僕たちも何がなんでも昔のやり方が良いとは思っていないので、コンピュータ制御の機械を利用して効率化を図ったりするのも1つの変化だし、変化していくことは重要だと考えています。新しい技術を取り入れながら自分たちの個性を加えていくことで、これからもお客さまに喜んでもらえるように柔軟な家具づくりをしていきたいと思っています。
まだ僕には伸びしろがあると思う
これまでの経験を通して将来についてのお考えをお聞かせください
まだ具体的に定年というイメージは持っていないですが、現実問題として大きな家具を運ぶとか、車の運転が大変になってきたりするのであれば…自然と退いていくでしょうね。
何となくですが、そうなると行く行くは作るのも運ぶのも1人で完結できるような、小さいうつわのようなシンプルな作品を作ったりするのが良いかもですね。でも僕はまだ50代。最後を決めるのは早いし、チャレンジできることも沢山あるだろうから、まだ伸びしろしかないと自分に期待しています(笑)
最後に母校への想いがあればひと言お願いします
僕だけがそうだったのか?みんなもそうだったのか?わからないけれど、高校時代は色々な意味で“ゆるさ”が残っていたというか、寛容だった記憶があります。上手く表現できませんが、東山独特のノリがそうさせてたんですかね。本当におもしろい奴が多かったし、ぶっ飛んでる奴も多かったなぁ。今でも昔の仲間と会うと高校時代の話しで盛り上がります(多分これはみんなそうだと思う)。
それぐらい濃密な3年間だった。以前ほど会う機会はないけれど、僕はこれからも京都で暮らしているので、また皆さん会いましょう!そしてこのガシマガを通して「お前もガシか!」と言われたいし、言ってみたいです。
編集後記
八十原誠さんを突き動かすもの、それは「木が好き」という、どこまでも純粋で力強い想いでした。インタビューを通して、その木材への深い愛情と、一切の妥協を許さない愚直なまでのモノづくりへの情熱が、ひしひしと伝わってきました。豊かな自然に抱かれた京北の工房は、まさに八十原さんの作品が生み出されるにふさわしい、素晴らしい環境でした。清澄な空気と静謐な時間の中で、木と真摯に向き合う。ここでの丁寧な手仕事が、あの温もりある空間を生み出しているのだと、改めて実感しました。これから先、「えっ?!このお店も樹輪舎京都が関わってるんや」という嬉しい驚きと共に、八十原さんの仕事に再会できる日を、個人的にとても楽しみにしています。今後のご活躍から、ますます目が離せません。