400年の伝統を未来へ
心を伝える、継承の哲学
茂山千五郎家 当主
十四世 茂山 千五郎SENGORO SHIGEYAMA
1972年京都市生まれ。東山高校を卒業後、立命館大学へ進学(中退)。本名茂山正邦。十四世茂山千五郎は、大蔵流狂言方の名跡で、京都を拠点とする茂山千五郎家の当主が代々襲名する名。幼少期より祖父の四世茂山千作、父である五世茂山千作に師事し、狂言の道を歩む。3歳の初舞台以来、数々の舞台に出演し、『三番三』『釣狐』『花子』『狸腹鼓』といった大曲を次々と披く。
2016年に父、十三世千五郎が五世千作を襲名したことに伴い、十四世茂山千五郎を襲名。以降当主として一門を率い精力的に公演活動を行う傍ら、後進の育成にも尽力。趣味はゴルフ。
2025年京都府文化賞功労賞受賞(令和6年度)
INTRODUCTION
400年以上の歴史を誇る茂山千五郎家。現在当主を務めるのは、2016年に十四世茂山千五郎を襲名した茂山正邦さんです。今回のインタビューでは、幼少期からの歩み、コロナ禍での挑戦、そして伝統芸能の未来への思いを語っていただきました。
伝統と現代を繋ぐ狂言師の視点
まず初めに茂山家の歴史を教えてください
元々能楽・狂言は奈良で起こり京都で発展しました。長い歴史の中で茂山という名は、江戸初期頃から登場しこれまで400年続いています。江戸時代にほとんどの能楽師は、東京へ移りましたが、茂山家は京都に残り御所や本願寺へ出入りしていた狂言師として活動してきました(主に狂言は大蔵流と和泉流の二つの流派があり、茂山家は大蔵流で関西を中心に活動)
狂言の演目数はどれぐらいあるのでしょうか?
狂言の演目は180から200ほどあります。基本的には全ての演目ができなければならないとされていますが、現在よく上演されているのは半分ぐらいです。内容が現代にそぐわないものは上演を控えるなど、時代に合わせた工夫をしています。演目の数だけ見ると多いように見えますが、普通の演劇みたいに1つ1つの演目の内容が全く違うということではありません。いわゆる基礎・基本となるものがあって、そこからの派生であったり、手法を変えたりという中で演じているので、それらを合わせると180〜200という数になります。
例え全てを習得していなくても台本さえ読めば、僕らは”すっと”できるので、そういう意味で基本的に全部出来なければいけないということです。また僕たちは、毎日特に決まったルーティンがある訳ではなく、仕事の予定に合わせて舞台(仕事)の準備をしていきます。
幼少期から狂言とともに
幼少期から始められた狂言とどう向き合われていましたか?
私の世代は4人(弟、いとこ)狂言師がいるんですが、わたしが一番年上だったものですから、それなりにそうだよ...と言われて育ってきましたので、やっぱり狂言をするんだろうなと。実際に舞台に立ったのは物心ついてすぐの3歳。だから小学校低学年ぐらいまでは、何の疑いもなく至って普通な事だと思っていたので、きっと周りの友達も同じことをしてるぐらいの感覚でした。
まだその頃は、曾祖父(ひいじいさん)が健在だったので、それこそ晩飯が終わったら「ほな稽古しよか」というのが日課でしたね。ただ小学校の高学年手前ぐらいになると「待てよ、周りはこんなことやってないぞ」と疑い始めたという...。
ちょっと特殊な環境で育ちましたが、仕事場に行けば親戚やいとこもいるので、楽しかったです。あと子供の頃は、正直何をやっても褒められるし、お小遣いをもらえたりもするし、何といっても舞台に出ればお客さんは楽しんでくれはるし、子供心に「こんなに、えぇことはない!」と思っていました笑
青年期から大人(お子様の誕生)になり生活や仕事観に変化はありましたか?
中学生ぐらいになると、子供でもない大人でもない中途半端な時期に入るんです。舞台自体は、学校の勉強とかもあって出番の数は減って来るんですが、稽古はだんだんと厳しくなってくるんですよね。
高校に上がると一転して、ほぼ土日は「狂言=仕事」に取られるようになります。仲間と遊ぶにしても、僕だけ仕事が終わってから合流したり、急に行けない日があったりしたので、普通の学校生活とは少し違ったかもしれません。まぁでも塾や習い事、バイトに行ってた友人も居たので、僕も同じような感じで稽古や仕事に行ってたと思えば、そんなに変わらなかったのかも?と思います(その東山高校の友人たちとは繋がりが濃くて、今でも年に1、2回は会っています。ガシでの学校生活は特別な時間でした)
それから一番大きな変化だったのは、やはり結婚して子供が産まれてからですかね。極端な話し今までは父や周りから教えられてやっていたことが、今度は私が子供たちに教えていかなければならないという部分で気持ちの変化がありました。
次の世代を育てるためには稽古も厳しくしなければならないし、舞台も見せなければなりません。普段は父親ですが、舞台や稽古の場では違います。稽古を始める際に「稽古よろしくお願いします」という挨拶を済ませば、そこからは先は師弟関係を保つようにし、終わったら親子に戻るという、そのメリハリを大切にしてきました。ただ息子は双子だったものですから、一度に2人を教えるのは正直苦労しました。そんな息子たちも21歳(大学生)になり、各方面で活躍してくれています。
※茂山竜正さん(長男)、茂山虎真さん(次男)の双子のご子息に加え、三男の茂山鳳仁さんも同じく狂言師として活躍されています
襲名の決意と次世代への継承哲学
2016年に十四世茂山千五郎を襲名した時の心境は?
「いよいよ来たか」という思いでした。僕に対する周囲の見る目も変わり、がらりと立場も変わりました。方向性を指し示す時も、嫌なことを決める時も、最後の最後は自分が決めないといけません。改めてそういう役目になったんだと実感しました。上の人たちがいる中で、立場が変わるという難しい面もありましたが、次世代の育成だったり、世代間の調整など”まとめ役”になり茂山家を引っ張っていく決意のようなものを持ってたように思います。
狂言の継承については、一から十まで全てを教えることはしません。例えばですが、息子たちに基本的なセリフの言い回しや動き、体の使い方など、すなわち狂言の根幹である「心」は伝えますが、お客様をどう楽しませるかという「肉付け」は自分たちで考えていくべきだと考えています。
単なる型の反復による継承ではなく、狂言師の自主性と創造性を尊重することで、狂言を完成されたものと捉えるのではなく、時代ごとに演者が新たな魅力を加えていく「生きた芸能」と捉えて欲しいと願っています。
舞台がなければ、画面の向こうへ。 逆境を好機に変える
コロナ禍では公演の中止が相次いだのではないでしょうか?
電話が鳴る度にキャンセルばかり……。コロナ禍がいつまで続くかわからなかったので、日に日に不安になりましたし、試練の時でした。舞台を主な活動とする伝統芸能にとっては、本当に未曾有の危機で絶望的な状況でしたね。稽古をしても観てもらう場所も機会もないので、ただただ悔しかったです。
そんな折に茂山家のみんなで試行錯誤しながらYouTubeチャンネル(チャンネル名:clubsoja)を開設するという新たな挑戦に踏み切りました。当初は公演の代替手段という側面もありましたが、舞台を失った分、画面越しにでも人に見てもらえる喜びを再確認し、活動へのモチベーションを高めるという好機に転換されたように思います。逆境に屈するのではなく、それをバネにして新しい活路を見出し、自らの原点をも見つめ直す機会でもあったんだと。今だからそんな風に思えますけど、当時は本当に辛かったです。
狂言の面白さは、ある日突然やってくる
これからの狂言について(狂言の普及活動)
狂言はもっともっと多くの方に届けられると思っています。まだ狂言に接したことのない人にとっては「古い」「難しい」「敷居が高い」というイメージがあるかもしれません。でもいつかどこかの世代で心に響く時が来ると信じて、世代や場所を問わず、狂言の魅力を伝えることを大切にしています。例えば見慣れた人が来る会では、本格的な内容にしたり、初めての人が多い会では、わかりやすい内容にする場合もあります。小学校や中学校で公演を行う際は、台詞の言い回しにも注意して台詞を変える工夫をしています。また字幕やイヤホンガイドを導入し、言葉の壁を越える取り組みもしています。
狂言は700年、人から人へと伝えられてきたので、ここで絶やすのはもったい無いんです。どこかで必ず日本人の心に響くものだと信じています。だから色んな人に狂言のことを喋っていかなアカンと思いますし、見せて(魅せて)いかなアカンと思ってます。
編集後記
今回の取材後、運よく岡崎の観世会館で開催された「市民狂言会」を観る機会に恵まれました。人生初の狂言!観世会館の雰囲気はもちろん、舞台上で繰り広げられる狂言師の仕草や空気感は圧倒的で”感動レベル”でした。途中、言葉の言い回しが少し難しい(狂言初体験なのですいません)場面もありましたが、それ以上に『狂言って楽しい!』という印象が今日の今日まで残っています。そして、取材で伺った十四世茂山千五郎さんの――伝統を背負う覚悟や、観客に狂言の面白さを届けようとする思い――が、舞台から伝わってきました。『狂言 is Fun!』――――狂言は楽しいんです!!ぜひ皆さんも体感してください。