伝統は守り、時代を創る
京の老舗、若き専務の挑戦
株式会社はれま 専務取締役
晴間 悠樹YUKI HAREMA
1988年京都市生まれ。中学から東山へ進学し、中高合わせて6年間学ぶ。東京の日本橋高島屋の米穀店で2年間、販売業務を経験した後、株式会社はれま(チリメン山椒はれま)に入社。同百貨店内の自社店舗に配属され、引き続き東京で2年間販売・接客業務に従事。その後、京都本社に戻り製造と経営全般に携わる。2018年専務取締役に就任。「料理人に卒業はない」という初代の教えを父が引き継ぎ、父や家族と共に「秘伝の製法」「厳選した素材」「その日に売る分だけを手作りする」「保存料・着色料を使わない」などのポリシーを今も守り、日々製造・販売を続けています。趣味はキャンプ
INTRODUCTION
京都の老舗チリメン山椒はれま/株式会社はれまで専務取締役として経営の中心を担う晴間悠樹さん。幼少期から家業を継ぐと心に決め、東京での修行を経て家業に戻って来られました。伝統を大切にしつつも、新しい挑戦へと踏み出す姿勢、そして母校・東山中学高校での思い出について語っていただきました。
「チリメン山椒はれま」のはじまり
チリメン山椒はれまの歴史について
初代、晴間保雄(宮川町の料理人)が、昭和20〜30年代頃にチリメンじゃこと実山椒を何気なく一緒に炊いたのが、”はれま”のはじまりでした。始まりは商品として売るのではなく、初代が台所で作ったのを親しい人に配っていたんです。配った先々で「美味しいわぁ」「またつくってなぁ」と、色々な人たちが喜んでくれるのが嬉しくて、炊いては、親しい人へ配り、また炊くのを繰り返していました。そのうち顔見知りの舞妓さんや芸妓さんもチリメン山椒の味を大そう楽しみにしてくれるようになったと聞いています。
ただ、昭和46年に初代が病に伏したことがきっかけで、晴間家に転機が訪れることになります。“チリメン山椒”の作り方を聞いた家族が、自宅の台所で炊いたものを玄関先で売り始めるのですが、商売というよりも病になった初代の面倒を見るため(一家の家計を支えるため)でした。当時は知っている人しか買っていただけなかったので、思うようには売れませんでした。
そんな中、東京で同じような商品が売られ始めたことがきっかけで、ちりめんジャコと実山椒を炊いたものが、京都名物として全国的に知られるようになります。その発祥が「はれま」だという事で、偶然にも自分たちの知らない所でチリメン山椒が有名になりました。そして有り難いことに今日まで、遠方からでも多くのお客様が足を運んでくださっています。
小学生で心に決めた家業継承。あの頃の憧れが、今の僕を動かしている
ご自身の歩みをお聞かせください
私はおばぁちゃん子だったものですから、小さい頃からよくお店に遊びに来ていました。毎日、祖母や父親がチリメン山椒をつくっていた姿を見ていたからか、自然と憧れを抱いていたんです。だから小学校に上がる頃には「家業を継ぎたい!!」と決めていたので、進路の選択も一貫して「家業に戻る」ことを意識して、私なりに自分の決めた道を進んできました。
社長(お父様)も東山高校の出身
そうですね、父と同じ東山(ガシ)を選びました。私は中学から入学しましたので、高校と合わせて6年間、東山(ガシ)で濃密な学校生活を過ごしました。私は大学には進学せず、卒業後すぐに東京の百貨店の米穀店に就職し、そこで2年間販売業務を担当しました。その後、家業である株式会社はれまに入社にするのですが、弊社の店舗がその百貨店にも入ってましたので、そのまま引き続き東京で学びたいという想いもあり、しばらく東京で働いた後、京都に戻ってきました。京都本社では長らく製造に携わり、現在は専務取締役として父(代表取締役)と共に会社の経営全般を担っています。
東京で働いていた時の思い出があれば教えてください
東京の米穀店で勤務していた時に、京都との文化の違いで苦い思い出がありました...。お雑煮用のお餅を発注した際に、その当時、私は関東は”角餅”という文化を知らず、関西の習慣として”丸餅”を大量に仕入れてしまったんです。最終的には何とか売り切ったので大丈夫だったのですが、今も心に残る教訓となっています。
京都を一度離れたからこそ、わかる”京都の価値”がありました。数年ですが東京で生活していたことで、地元、京都の良さを改めて実感できましたし、当たり前だと思っていた街や人の雰囲気、文化だったり、なぜ京都は観光客を惹きつけるのか?だんだんとわかってきたように思います。
仲間と、未来を語る。男子校で育まれた“一生モノの絆”
東山中学高校で印象に残ったこと
中学高校の6年間、男子校生活はなかなかの濃さでしたね。高校時代は部活動には入らず「とにかく遊ぶ!」と決めて過ごしました苦笑。文化祭などのイベントも思い出に残っていますが、先生方との思い出も印象深いです。特に中学の谷井先生、高校の杉谷先生には勉強や学校生活ですごくお世話になりました。勝手ながらお二人の先生方のことを恩師だと思っていますので、わたしの結婚式に招待させていただいたんです。お二人揃ってお越しくださった時は、本当に嬉しかったです。
それとなぜか...?印象に残っているのは、現在校長をされている塩貝先生の柔道の授業!一本背負いで投げられたのも思い出に残っています(※授業内での普通の練習です)当時は今よりも体が細かったせいか、先生に紙のようにペラペラに投げられました笑
あとは、現在も週に一度は会い続けている同級生と友達になれたこと。これが一番大きいです!東山の6年間で得られた先生や友人との絆は、私の財産となりました。また東山での学校生活や仲間から「謙虚さと学ぶ姿勢」も学びました。それは現在のわたしのモットーにもなっているのですが、常に相手を敬い、謙虚な気持ちで教えてもらうこと/助けてもらうこと。私ひとりでは出来ないことが多いので、時に教えてもらう、時に助けてもらう。皆さんから学ばさせていただく姿勢を大切にしながら仕事に取り組んでいます。
昔の仲間との現在の関係
私は大学に行っていない分、私にとっては東山の仲間が人生の中心なんですね。卒業してから20年近くになりますが、今でも週に一度は会う同級生がいます。つい最近も明日会う予定にしてるのに、前の日に電話で2時間ほど話したりする...。もちろん変な関係ではないんですけど...。それぐらい気の合う仲間で本当に感謝しています。たまたま同級生に商売人の家系が多かったことから、何となく感覚も似ていたので、自然と長く付き合えているのかなぁと思っています。男子だけで集まれば今でもバカなことしたりもしますが、みんなで将来のことについて語らう同士でもあるんです。これからもお互いに刺激し合いながら歩んでいければと思っています。
「はれま」の今と、これから(守るべきは守る)
これからの展望を教えてください
創業以来、一貫して家族だけで製造してきました。初代の味を守り続けるうえで、秘伝の製法はもちろんのこと、素材選びや仕入れから、初代の教えに習い「料理人に卒業はない」の口癖を忘れず、日々おいしいものを作ることに精進するために、私たちはこれからも”家族経営”だけではなく”家族の温もり”も守り続けていきます。ただ時代に合わせた工夫や取り組みも必要になってくるでしょうから、そこは躊躇せずチャレンジしていきたいと考えています。
これまで企業間のコラボレーションは積極的ではありませんでしたが、現在そういった企画も進めていこうとしています。海外に向けての京都の良さであったり、チリメン山椒を世界へ!みたいな事も発信していきたいと思っています。
海外に向けて...で言うと、少し前になりますが、バラエティ番組で外国の方が好む「ご飯に一番合うおかずはどれ?」みたいな調査があって、全国各地のご飯のお供の中にチリメン山椒を入れていただいたことがありました。結果は1番ではなかったのですが、想像以上に外国の方にも評判がよかったんですね。そういう背景もあることから新しい形態の商品開発・商品展開も企画していけると可能性を感じています。
そして最後に。チリメン山椒を通して社会貢献していければと思っています。カタチにしていくのは難しいですが、子どもたちが喜んでくれるようなこと....。自分なりに考えていることがありますので、また皆さまに発表できるよう日々チャレンジしていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
編集後記
今回の取材を通じて印象に残ったのは、晴間悠樹さんの「謙虚さ」と「挑戦心」です。専務という立場にありながらも、常に謙虚に人から学ぶ姿勢を忘れない。その柔らかさが、悠樹さんの温かい雰囲気にもつながっているのだと感じました。また、東山で育まれた仲間との絆が、今も彼の人生や仕事を支えていることも印象的でした。伝統を守りつつ、新しい挑戦も忘れない。そして、チリメン山椒を通じて社会に貢献していきたいという未来への視点。お話を聞いていると、“京都の味を未来へ、世界へ”という大きな流れが自然と描かれていくようでした。余談ですが、悠樹さんと編集者(私)は全く面識はありませんでしたが、偶然にも悠樹さんの奥様とは昔の仕事仲間。そのご縁でお二人の結婚式では新婦の友人としてスピーチをすることに。改めて東山のご縁の濃さを実感しました。恐るべし東山(ガシ)のご縁。